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まんじゅう誕生ストーリー みなかみ・丸須製菓

10周年特別編!といたしまして、2016年に掲載いたしました丸須製菓・沼尻好彦さんのインタビュー記事を再掲。大の音楽好きのご主人、毎年ニューアコではみなかみ名物のおまんじゅうを届けてくださっています。みなさん、必食ですぞ。


New Acoustic Campが群馬県みなかみ町に会場を移したのは、2012年。新天地初年度から出展しているのが、丸須製菓です。もっちりとしたおいしいおまんじゅうは、いまやニューアコ名物といっても過言ではありません。名湯に饅頭あり!温泉といったら、温泉まんじゅうですが、じつは丸須製菓さんが最初に売り出したのは、おまんじゅうではなかったそうです。今回は店主の沼尻好彦さんに、いろいろお話をうかがってみました。

―丸須製菓さんのご商売はいつごろからはじまったのですか。

 

わたしで二代目になります。もともとは父がはじめたんですけど、1964年ごろにみなかみで、瓦せんべいを焼きはじめました。それが商売のはじまりです。

父はみなかみの出身ではなかったんですが、30歳くらいのときにたまたまみなかみに流れついたようです(笑)

―最初は、おせんべいだったんですね。

 

父は、「まんじゅう屋は何軒もあるし、いまからやってもダメだろう」と。そこでバッティングしないものをと、経験のあった瓦せんべいをはじめたみたいです。いわゆるよそ者であったし、当時は排他的な部分もあったと思います。

でも、その瓦せんべいは、結構売れたようです。日持ちがするというのがよかったみたいで、お土産にはよかったみたいです。旅館さんにも引き合いが多かったようです。

―おまんじゅうは、いつごろから?

それから10年程経ったころと思うんですけど、人形焼きみたいなカステラのおまんじゅうをつくりはじめました。1980年ごろには『およげ!たいやきくん』のヒットにのって、たい焼きの型でもまんじゅうつくってみたり。それも結構ヒットして!そのあとに、「水上饅頭」というを売り出すようになりました。父の代は、瓦せんべいと、その水上饅頭の2本立てだったんです。

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―お父さまは、アイデアマンですね!なんだか開拓精神溢れます。

なるべく人の席を奪わない、というか、競合しないものをうまく考えたみたいです。みんながやっていること、まんじゅうなんか作ったってだめなんだってよく言ってました。そのころは温泉地に団体客が観光バスでドーンと押し寄せるような時代。店売りなんてほとんどなくて、旅館に収めるのが主でした。

―いまとはだいぶ違いますね。温泉バブルみたいな。店を継ぐことは、はじめから決心されていたのですか。

わたしが東京で大学を卒業して、サラリーマンをやって、帰ってきたのが1992年くらい。いずれは帰って継ごうを思っていました。東京にいたときも、その時に備えて商売の役に立つようにと、パンのメーカーに勤めました。でもじっさいは営業でしたけれど。わたしが実家に戻ったころには、もう温泉街自体も

だんだんと下降気味になってきていました。そろそろ店売りもなんとかしないと!いうことになって、ちょうど店を移転する話しが持ち上がったんです。

―現在のお店のあるところに移転したんですね。戻ってすぐ、お菓子作りの修行をはじめられたのですか。

じつは帰ってきた時点では、フラフラしていて…。あまり商いに力が入っていなかったんですよ。なんとなく、親父からは学べない感じもあって。意地張っていたのもありますね。それでも、移転して店も新しくなったことで、一念発起しました。父が避けていた蒸しまんじゅうをやろうと、いろいろ本格的に始めたんです。

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―お父さまが避けていた、おまんじゅうをやろうと思ったのはなにかきっかけがあるんですか。

あらためて温泉まんじゅうの強さを思い知ったことがありました。お客さんがお店に入ってきてくれるんですけど、温泉まんじゅうがないと分かると、帰ってしまうことがたびたび。やっぱり、お客さんが求めるものを作らないとなぁと思いはじめて。そのころは、親父のカステラ風のおまんじゅうと、瓦せんべいの2本立てでした。

―旅館にどっぷり依存していた商売から、ご自身の店で商品売っていく過渡期でもあったんですね。でも、蒸しまんじゅうの製法は、どのようにして修行されたんですか。

父が蒸しまんじゅうを、そういった理由からやらなかったので、わたしの独断で蒸す設備を導入してしまいました。設備投資して、機械を買って入れちゃったんです。作り方も、原材料メーカーや製菓の組合などの講習会に頻繁に顔を出してつながりをつくって教えてもらいました。最初はなかなかお金が生み出せなくて、苦労しましたが、聞いたことをひとつひとつ実践してやっていくうちに、身に付きました。やってみると、お菓子作りって必ずしも一本の道ではないなと。逆に親方みたいなものがいなかったから、自由にできたからこそ、よかったのだと思います。

―そうして生まれたのが、仙ノ倉万太郎なんですね!

いや、じつは最初にできあがったのは、酒まんじゅうでした(笑)蒸しまんじゅうをつくるうえで、小麦粉のことを知らないといけないと思って勉強していたんです。そしたら、なんだか酒まんじゅうがうまくできてしまって…先に完成しました。

―そうだったんですか。で、その次に、仙ノ倉万太郎。

いや、その次にできたのは「よもぎまんじう」なんです。仙ノ倉万太郎よりも3年早く。

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―ははは。てっきり、仙ノ倉万太郎が、さいしょにできたおまんじゅうだとばかり思っていました。

試行錯誤しながら、まんじゅうをつくりました。よく店に立っていたので、お客さんの声も、まんじゅう作りに活かして。

―そうだったんですね。さて、ニューアコの話になりますが、出展のきっかけをお聞かせください。

会場の水上高原リゾートの方から、「こんなイベントがくるんだけども、みなかみでなにか盛り上げる手段はないか」と聞かれました。みなかみの温泉街の商店会長をやっていたこともあって、今度主催者が来るから、沼尻さんも出てくれないか、と。イベントでみなかみ温泉の魅力を伝える…射的か?輪投げか?なんて、思っていました。

―キャンプして音楽を楽しむイベント…。海のものとも山のものともつかぬ、まさにそんな感じですよね。

軽い気持ちでそのミーティングに出ました。そこにはCandle JUNEさんもいらしていて。JUNEさんが、「みなかみ町に場所を変えるにあたって、水上高原ホテル200の協力があったことがとてもよかったのと、まんじゅうがすごくうまかったので、すぐ決めました!」みたいなことを言ってくれたんです。どうやら、うちのまんじゅうを渡してくれていたみたいで。ビックリしました。えー!って。

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―それは嬉しいですね!JUNEさんは、仙ノ倉万太郎の熱烈なファンです。

そのときに、ぜひ会場でまんじゅうを売って下さいと言われたんです。でも、イベント出店した経験もなかったですし、音楽を聴きに来た人にまんじゅうなんて売れないだろうなと思っていました。店も空けられないしと、乗り気じゃ無かったんです。最初はお断りしたんですが、「もし、丸須さんが来られないというなら、こちらで販売します。品物だけでも納めてくれませんか」と。

言われたんです。それにグッときてしまいました。そんなことを言われることはありませんでしたから。これは預けるなんてとんでもない!行かなきゃ!という決意をしたんです。ありがたかったですね。

―はじめてのニューアコはいかがでしたか。

家族で参加して、子どもがすごく楽しんでいました。わたし自身も、ああ、こういう仕事も気持ちいいなと思って。翌年もお声がけいただいて、それがいまも続いているという感じです。

―ニューアコのオリジナルまんじゅうは2年前でしたでしょうか。新しいおまんじゅうを作るなんて、大変だったのでは。

たしか…野口さん(NAC運営スタッフ)だったと思います。「オリジナル饅頭なんてどうですか」っていう無茶振り(笑)。仙ノ倉万太郎に焼き印を押すだけでいい、なんという話しが出たんですが、茶色いまんじゅうなので焼き印おしても目立たないし。ちょっと生意気いうと、焼き印を押しただけでオリジナルっていうのも…と。

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―職人魂。火がついた、というわけですね。

それじゃ、仙ノ倉万太郎と同じじゃないかって。なんか話しの勢いで「じゃあ、新作をつくりますよ!」って言っちゃって。後悔しました…。禿げちゃうくらい…。

―新作を生み出すなんて、生半可なことではないです。

なかなか苦しみました。でも、仙ノ倉万太郎を発売してから5年くらい経っていたので、なにか新しいことをしないとなと思っていたこともあります。これは野口様、神様が与えてくれた試練だと。商品として固まったのは開催の直前でした。わたしはじっくりと取り組むほうなので、1年は欲しいところなんですけど、10ヶ月くらいしかなかったです。

―そうして生まれたのが、紅茶まんじゅう!

じつはニューアコの会場で売り出したあのときは、まだ、商品として確立できていませんでした。紅茶まんじゅうを1回作ると2割くらいは商品にならなくて。割れちゃったり、ボツばかり…。まんじゅう塚ができるくらいでした(笑)

―ようやく完成したものの、安定した生産にはまだ時間が必要だったんですね。

生産効率の悪い状態でした。でも、紅茶のなかにミルクのあんこなんて珍しいので、そんな売れないだろうって、鷹をくくっていたら初日で物凄く売れてしまって。ビックリ。あの日、OAUのライブを横目に撤収して、徹夜で次の日のために紅茶まんじゅうを作っていました。夜通し作っても100箱できなかったですね。それでも、お客様が買ってくださったときは、ほんとうに嬉しかったです。

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―紅茶まんじゅうはその後、お店のラインナップに加わったんですか。

先月から店頭で売り出しました。冷たく食べてもおいしいおまんじゅうということで、夏限定でやらせていただいています。あのときニューアコ用に作った紅茶まんじゅうのレシピをベースに改良しました。あんこにオレンジピールを入れて、紅茶とミルクとオレンジのコンビネーションです。紅茶まんじゅうは、「白毛門(しらがもん)」という名前です。今回の会場にも、お持ちしますよ!

―白毛門。いいですね、ピッタリです!また、みなかみの山の名前なんですね。つねづね不思議に思っていたんですが、万太郎、仙ノ倉、そして、今回の白毛門と谷川連峰の山の名前を付けられています。でも谷川岳というのはないんですね。看板商品には、谷川岳って名づけたくなるんじゃないかと思うんですけど…。

じつは、先代が作ったカステラまんじゅうを、いちばんはじめに売り出したときに、「岳の子(たけのこ)」という、谷川岳の岳をとって、商品名にしたんです。谷川岳の子ども、みたいなそんな意味合いで名づけました。焼き印も岳の子と押して。でも、その岳の子が、さっぱり売れませんでした。それが原因で経営危機に陥ったことがあったんです。

―谷川岳の名前は封印された?

これはきっと、バチが当たったんだろうと。谷川岳という、とくに登山される方にとっては神聖な山の名前を、商売に使ってはいかん!と、父が。それで岳の子の名前を止めて、水上饅頭という名前にしたんです。それ以来うちは、谷川とか岳とかいう名前は付けるなと。そういう名前は他に任せておけ!といって。封印です。

―そんな秘話があったんですね。長年の謎が解けました(笑)。沼尻さん、最後に今年の出展に向けて、お客さんに向けてメッセージお願いします!

まずみなかみの、この空気感を楽しんでいただきたいというのがいちばんです。あの場で、全力で楽しんでいただきたいなって思います。そのなかでおいしいものも、おまんじゅうもありますので。余裕があれば、地元のグルメも楽しんでいたけたら、よりニューアコが楽しめると思います。

沼尻さん、ありがとうございました!ニューアコ会場へ向かう途中にお店がありますので、こちらにもぜひお立ち寄りください!

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丸須製菓 http://marususeika.com/

群馬県みなかみ町湯原1680-4

☎0278-72-3591

営業時間/8:00〜18:00、不定休(主に第2・第4火曜日休み)